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Beauty Source キレイの魔法

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二度目の手紙

『二度目の手紙』

NYから帰ったことを、シャーロットに告げるべきかどうか、最初は正直迷った。
だが思い切って電話してみると、彼女は驚きながらもひどく喜んでくれた。

妻だったシャーロットを、僕はかつてひどく傷つけてしまっていた。
元の恋人・サラとの間で揺れる僕を見ることに耐えられなくなった彼女は、
ついに姿を消してしまったのだった。
二年ほどしてグラスコーにほど近い小さな町で、彼女が新しい生活を始めたと手紙で知らせてくれたとき、
僕は不覚にもおいおい泣いた。
サラが亡くなったときも、すぐには出なかった涙があとからあとからほとばしり止まらない。

葬儀の当日も、張り付いたような微笑を浮べて、サラが残したビデオレターを見つめ、
なにか空虚な感覚を持て余していた僕。
サラを失ったことを悲しんでいたのか。
シャーロットが去ったことを嘆いていたのか。
自分の愚かさに絶望していたのか。
何処に心を置いていいかわからない。
つるつるすべる危うい球体の上で遊び、突然ひとりで中空に投げ出された僕は、
まるで道化を演じるように、不必要なまでの笑顔を絶やさずにいた。

シャーロットのくれた紙片をみて、僕はようやく自分の感情に身を任せることができ、
旅立つ決心がついたのだった。

すぐに僕は、スコットランドから出航する船のコックとして雇われた。
所有していたレストランは、シャーロットが去ったあとは手放して身軽な身だったから、
あの町から離れられるのなら、どんな仕事についてもよかったのだが、
計ったように目の前に仕事が降って湧いたのだ。
しかも、行き先はNY。
サラが夢を叶えるために向かった街。
天にいる彼女が、招いてくれたような気がした。

田舎町を出た船は、十日あまりで大都会にたどり着く。
すぐに乗客と積荷を下ろし、三日ほど滞在してまた同じ航路を還ってゆく。
その繰り返し。
乗船している間は、だた黙々と決まりきったメニューを作り続けることに没頭する。
気がつくと燦然と輝く街明りに照らされて、毅然とした女神の姿が現われる。
その表情が何故か、まっすぐ前だけを見つめていたサラの姿に見えてくる。
ただ自由と夢を求めて、僕のもとから去っていったかつての彼女に。

それでも、はじめはなかなか下船する勇気がでなかった。
いつだって少しずつ周囲の様子と自分の許容範囲を計りながら進んできた僕は、
最初の三回目まで、着岸時にもただ港の中をうろうろするくらいしかできない。
三日たって再び船が出港し、またスコットランドについても
誰にも会うわけでもなく、荒くれた男たちと一緒に酒場で過ごし、
また船に戻っていく。

四回目にして、僕は思い切ってタクシーをつかまえた。
「イーストサイド・ビルディングへ。」
サラに聞いていた、街を一望できる建物の名前がこれだった。
「病名を聞いたときね、いっそ自分で自分の命にケリをつけてやろうかとも思ったの。」
胸が潰れるような思いで聞いていた僕を、サラは可笑しそうに一瞥し、
「さあ、次は何をしましょうか?」とウィッシュリストをまるで免罪符のように
ひらひらさせる。
蝶を追うように、彼女の望む先を必死でつかまえようと駆け出す僕。

死を前にした彼女に対する自分の最大の責務だと思い込んでいたものが
無上の喜びに変わり、それが彼女以外の、愛するものすべてを蝕んでいることに
気づかない振りをしていたずるい僕。

七回目の上陸のあと、僕はNYで働くことを決め、船には戻らなかった。
小さな料理店で働きながら、最初は暇さえあればサラが住んでいたアパートや
通っていた場所を辿って歩いた。
群集のなかに埋没することに慣れ、無制限に放っておいてくれるこの街に馴染んでゆくにつれ、
僕はだんだんと、彼女の思い出を手放すことができるようになった。

煙草も服装の趣味も変わり、頬にも髭をたくわえるようになったころ、
再び店を持つ機会がやってきた。
スコットランドの雰囲気を生かしたレストランは好意的に受け入れられ、
NYに来てから三年で、店舗は数軒に増えていた。
いつのまにか三十代になっていることにも感慨深さを覚えているとき、
グラスコーで新しいレストランを展開する話が持ち込まれた。
かつての勤め先である船に乗り、僕は再び故郷の土を踏んだ。

仕事の話は上手く進み、あとはサインを交わすだけとなった矢先に
シャーロットから二度目の手紙をもらった。
電話をしたとき、彼女には滞在先のホテルを教えてあったのだ。
(発信元には「マリーの店」とある。彼女はここを切り盛りし、
もともとその町にあった店の名前で呼ばれているらしい。)
手紙の内容は彼女の頼み、正確には彼女の女友達からの、とても奇妙な依頼だった。

なんにせよシャーロットの頼みなら、僕に断れるはずがない。
ただ、それが僕につとまるかどうかは別問題だが・・・。
とにかく一度、友人とやらに会ってみたいと返事をして、場所をホテルのラウンジに指定する。

今日がその約束の日。
いったいどんな女性がやってくるのだろう。
僕はラウンジのドアを、ゆっくりと開ける、
何故か湧き上がる、理由なき胸の昂ぶりとともに。

2005.09.21

ラウンジを抜け、街へ出た。
依頼は引き受けたものの、うまくやり遂げる自信はない。
2ブロック歩いた先にスターバックスが見え、
アメリカーノでは物足りなかったカフェインが急に恋しくなる。
数分後にはラテを持って店内に座り、あずかった手紙と写真をテーブルに広げていた。

どうやら父親が、船乗りという設定になっているのは本当らしい。
確かに、顔を合わせないのなら、都合のよい職業ではある。
子どもはそれを信じて、海の生き物にも興味を持っている。
父親を誇りに思い、会うのを心待ちにしていることが、
子どもにしては上手くまとまった、ひかえめな文面から伝わってきた。

ふと、サラのウィッシュリストを見せてもらったときのことが蘇る。
この世に遣り残すことがないよう、いくつもいくつも
たわいのないリストを書き連ねていたサラ。
一人でできることばかりなのに、僕に付き合って欲しいということを
軽い言葉とは裏腹に、必死の瞳でせまっていた。
誰もが過ごすたわいのない一日が、子どもにとっても大切なことなんだろう。
さて、土曜日までにどうやって彼の父親になってゆこうか。

店を出たあとも、格別に何をするというあてもない。
レストランの契約はすんでしまったし、改装に実際取り掛かるまでには数週間ある。
父親になるためのスクールでもあればのぞいてみるんだが。
何気なく目に付いた映画館にふらりと寄ってみると、かかっていたのは
「The Phantom Of The Opera」

サラのリストに「ミュージカルを観る」という項目があって、
それは消されないままになってしまった。
NYに住んでいるときに経験していなかったのかと思いながら、
彼女の代わりにブロードウェイに一時通っていたことがある。
そのとき僕は確実に、この世界で最も成功したミュージカルを観ているはずなのに、
何故か、まったく違う作品のような印象を受けた。

歌姫に惹かれ、その恋人との間に割って入ろうとする怪人。
己の不幸と醜さをよりどころにして、相手に迫りすがる瞳。
ああ、そうだ。この瞳の表情が、舞台ではわからなかったのだ。
サラと、そして奇妙な依頼をしたあの女性のものを思わせる。
間違った道を歩いていると、もっと光射す道もあるとわかっていながら、
どうしても進まずにはいられない。

歌姫を隠れ家に連れ去り、切々と歌い上げる仮面を剥がされた男。
それは、あのときの僕の姿でもある。
「子供を」というシャーロットの言葉に、猛り狂い、自分を曝け出してしまった僕。
「わからない。」を繰り返し、答えを出すことを避け続けていた男は、
何を本当に望んでいたのかを知ったのだ。
献身的で穏やかな妻との生活よりも、
嵐のように激しく気まぐれな恋人との刹那を。
あのオペラの夜、初めてキスした東屋へ突き動かされるように向かい
彼女の姿をみとめたとき、僕は誓わずにはいられなかった。
「君の行く手に、今度こそついて行こう。サラ、僕の望みはただそれだけ。」

滂沱の涙を流してホテルの部屋に戻り、ポケットから手紙を取り出したとき
あて先を見なおして驚いた。
子どもの名前、サラの父親とよく似ている。
僕よりひと足早くNYに渡り、シンガーの元恋人と暮らしてすぐに、脳梗塞でこの世を去り、
いまは彼女の隣で眠るフランク。
「君も幸せに。人生は一度きりしかないのだから。」

明日の予定は決まった。
子どもの喜びそうなものを手に入れてから、
ふたりの墓所に花を植えに行こう。
サラも好きだった、真っ赤な薔薇を。

2005.09.23

9&1/2


訪ねてゆくことを知らせないままに、僕はモントリオールに到着した。
父のパートナーは病室にいて、突然現われた見知らぬ男に目を見張ったが
すぐにこう言った。
「あなたが、サムね。」

彼女は何度も、グラスゴーへ僕の消息を問い合わせてくれていたのだという。
NYという、モントリオールにもっと近い場所にいたパートナーの形見を。
ちょうど同じ時期に、こちらも彼らを探していたのだった。

父の病は白血病で、1度は治療がうまくいったものの再発し、集中治療室に移されていた。
目の前で、ゆっくりと静かに霞んでゆく炎。
ひと言の言葉も交わすことができない親子。
それでも、そんな父の命の最後のゆらめきに、その温かみに手をかざすことに
間に合うことができた僕は、やはりとても幸せだったように思う。

葬儀がすみ、パートナーは僕に父が愛読していたという本を一冊、手渡してくれた。
ボロボロになるまで、読み返されたドラッグに関する手記で、
中にはたくさんの言葉が、昨日書いたような色合いと乱れた筆跡で残されていた。

苦しみの言葉、希望の言葉、また落ち込んでゆく絶望の言葉、また光を見い出したときの喜びの言葉。
僕は何故、父が母から、そして僕から離れてしまったのかを知り、
彼が本の主人公に自らの姿を重ね合わせて、その地獄の縁から這い上がっていった有り様を
辿った。

そして最後のページに、僕は見たのだ。
少しも乱れのない、しっかりとした筆致で記されたあの言葉を。
僕がフランキーとリジーに向ったときに、何故か口を衝いて出てきた真理に繋がる言葉を。

「ただこの人を見よ。真理は常に汝と共にあり。」
あの丘の上での情景と、目の前の文字が重なり、古びた本の上でにじんでゆく・・・。

***
グラスコーでのオープンは、夕方までの予約客に限定したにもかかわらず盛況だった。
シャーロットやアリーにも当日まで、ずいぶんと助けてもらった。
この日は早めに店をクローズし、7時からプライベートパーティに切り替える。
招いたのは6人、少年の10回目の誕生日も兼ねて、フレンチを愉しんでもらう。

食事のあとのワインは、ラウンジのソファに移動してとる。
「11月いっぱいくらいは、こちらにいるつもりなの?」
シャーロットがグラス越しに聞いてきた。
ガールフレンドとはしゃいでいたフランキーと、リジーの動きが止まるのがわかる。

「いや。明後日にはNYに行くよ。」
「オーナーがいなくなったら、俺がここを乗っ取ってしまおうかな?」
アリーの飛ばした冗談に、僕は静かに言葉を返す。
「それは無理だな。NYの自宅を引き払って、クリスマスまでにはこちらに戻ってくるから。」

フランキーの顔が輝き、リジーは一瞬こちらをみて目を伏せる。
シャーロットがにっこり笑い、その横で、ネルが小さくハミングし始めた。

若いとき夢にみていた 運命の人
きらめく騎士よ
天空のお城へ 連れてって 

アリーがそれを受けて、ネルと肩を寄せて歌い出す。

竜退治をすませたら 
きれいな白馬で 翔けてきて
永遠の愛と 喜びと やすらぎと

待ち焦がれていた姫君を
きらめく騎士よ 
白馬で翔けて 連れてって

ゆっくりとこちらに向う茶色の瞳を
僕は今度こそ、きちんとすくい上げる。


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